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2010年3月12日 (金)

バッシングされることの意味

トヨタに次いで、今度はイルカ漁のドキュメンタリー映画が受賞。そしてマグロ問題。
どことなく日本に対し、バッシングの気配もあるように見える。
でも、バッシングされるということは、裏返せば、「これ以上、日本人にでかい顔をされたくない」ということも言える。

環太平洋を移民してきた民族の一部に日本が含まれると考えると、欧州が米国に上陸して何をしたかを見れば一目瞭然。
謎のマヤ文明。

半島の先にて、ガラパゴスのように独自の発展を伴い、狩猟から農耕主体へと移行し、そして概念のみの宗教に頼らずに実利をもって民衆心理を習知し400年も平定させてきた統治力(これは朝鮮や植民地化されたアジア諸国においても発揮されたのだろう。この子細はともかく措いて)、勤勉さを目のあたりにしてきた諸国から見れば、畏敬の念を持つと同時に、警戒してくるのも無理もない。

欧州において近い素質を持つ民族としたらドイツやイタリアだろうか。周辺諸国と隣接している分、過剰な介入は必要なかったのかもしれない。
それだけに米が過剰に日本を抑え付けようという意図があったとしても不思議ではないのだろう。

しかも、背後には人口規模からも太刀打ちできないであろう、近隣民族の国が控えているとあればなおさら。最近になり、軸足を移してきたような面もあるが、国債の扱いという点では日本にもまだ決定的なカードを握っている(これは、もともと米が日本に「握らせた」とも言うのだが。そして、米はなぜか中国にも「握らせ」ているとも言う)。

何も恐れることはない。
然るべき時に、然るべき形で、然るべき主張を行えば良いだけである。
あくまでも冷徹に、言い替えるとクールに述べるだけで良い。
まあ、その前に、少しは、どこに出ても恥ずかしくない程度に、身綺麗にしておこう。

・・・などと、吟醸酒を半合ほどあおった頭で述べてみる。

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